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あれからどれくらいのときが経ったんだろう。軽く授業は始まってるだろな。
辻宮はずっと手を握ってくれてるけど、教室戻らなくていいのかな。
あたしはともかく辻宮が授業をさぼるなんてこと今までなかった。
「辻宮、教室戻らなくていいの?」
「・・・別に」
あたしが声をかけると辻宮はその手をぱっと離して立ち上がり伸びをした。
少しだけ離された手が寂しく感じたけど、それはどうしてだろう。
今まで彼氏だっていたし、キスだって・・・
あ、あたし央に・・・考えるとまた針が刺さる。やめてよ。もうわら人形は。
あたしはひざを抱えて俯いた。
「・・・何があったとか聞かないの?」
「・・・聞いてほしいのか?」
「そうじゃないけど」
「じゃ聞かなくてもいいだろ」
聞いてほしいような聞いてほしくないような。
辻宮はあたしの顔も見ずにただ空を見て言う。
こいつといるとほんとに調子狂う。
今までこんな気持ちになったことなんてないのに。
それなのに・・・どうしてこんなに胸が苦しいんだろ?針の次は殴ってんのかしら。
でもそこまであたし人に恨まれるようなことしてないと思うけど。
「ねえ辻宮、どうしてあたしが泣いてることに気付いたの?」
「目が赤いからだろ。気付かないほうがおかしい」
「誰も気付かなかったけど?」
「それだけ、誰もお前のこと見てないってことだろ」
辻宮が柵に手をやりながら空を見て言う。
優しいのか優しくないのかまったく分からない。
でもただ分かってるのは辻宮だけがあたしのSOSに気付いてくれたってこと。
それは感謝するよ。
「・・・あたしね・・・央にキスされたんだ」
「・・・・」
「嫌だった。すごく。
今まではキスなんて簡単な挨拶みたいなものだって思ってたけど、
でもすごく嫌で気付いてたら泣いてたの」
「・・・そっか。じゃあ少しは百戦錬磨やめる気になったってことか」
「うん。もうやめる。だからお経唱えて。
あんたのお経聞くとね、変だけど心が安らぐの。
今のあたしの栄養剤になると思う。だから辻宮、お経唱えてよ」
やっとあたしの顔を見た辻宮。その顔なんかいいじゃない。
太陽に反射して少しだけいつもの黒髪が茶色に光ってる。
しょうがねえなといいもう一度あたしの隣に座りなおしてくる。
「筑波嶺の峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる」
「え?」
「百人一首」
「お経は?」
「今から唱えてやるよ」
最初の百人一首はわからなかったけど、
そう言ったあと唱えてくれたお経はやっぱりよかった。
辻宮に聞いとけっていわれたお経のテープは一分経たずに
眠りの世界にいざなってくれたけど、
辻宮のお経はなんだか違う。子守唄というよりも・・・とても大切な歌のよう。
「はい。おわりって聞いてたのか?」
「うん。聞き惚れてた」
「バカか」
「なんかテープのお経は子守唄なんだけど、辻宮のお経はそうじゃないの」
「・・・・」
あれ?あたしなんか変なこと言った?辻宮がそっぽ向いてしまった。
それにしてもこんな風に空を見たのはいつぶりだろう。
雲が流れていくのをじっと見てるのはいつぶりなんだろう。
辻宮、あんたにほんとに感謝だね。
「おかえり未彩」
チャイムが鳴ってさすがに次の時間もサボるわけにはいかないと
あたし達は教室に戻ってきた。
央。教室がどよめいてる。未彩の次の相手は央かとみんなが騒いでる。
央が言ったんだ。
あたしをにやにやと迎える央。辻宮は何も言わず黙って自分の席に着く。
「どこ行ってたんだ?」
「・・・どこだっていいじゃない」
「冷たいな。お前今日から俺の彼女だろ」
「勝手なこと・・・」
あたしがそう言いかけた瞬間、央が近づいて耳元で言う。
「いいのか?お前ここで否定したら周りから何言われるかわからないぜ。
百戦錬磨の未彩ちゃん」
ぞっとした。せっかく辻宮のお経を聞いて癒されたのに耳が一気に腐った。
あたしはきっと央を睨んで言った。
「別に。もうあたし百戦錬磨とかどうでもいいし。
あんたと付き合ってるって誤解されるくらいならそんな勲章いらない」
「へえ。ずいぶん強気だよな。ってことは辻宮ともお別れだな」
「何それ・・・」
辻宮は関係ない。
それなのにその名前を出されると妙に動揺してしまう自分がいる。
そして央は辻宮に向かってこう言葉を放った。
「おい辻宮、こいつがお前に近づいてる意味知ってるか?」
「・・・俺の趣味に興味があるからだろ」
「ほんとにそうだと思うか?」
「ちょ、央、やめてよ」
「・・・・百戦錬磨の名前に傷をつけないためだよ。
次のターゲットはお前だったんだ。
まあお前に飽きたからって俺に彼女になってくれって泣いてキスまでされたから
しゃーなく俺は未彩と付き合うことになったからお前はもういらねえよ」
嘘、嘘でしょ?教室のざわめきがひどくなる。
辻宮の顔色も変わる。そうよね。
央の言ってることは全部が嘘ってわけじゃない。
だってあたしが辻宮に近づいたのは本当にそうだった。
百戦錬磨の名に恥じないように。でもね、でも今はそうじゃないの。
今更そんなこと言ってもわかってもらえるはずないけど・・・。
辻宮が近づいてくる。あたしは目をぎゅっと瞑った。
今、謝ってももう無駄だよね?だけどあたし・・・
「・・・・」
大きな音が鳴り響く。ドンっというかボコ?ボコって?
恐る恐る目を開けてみると央が殴られてる。しかも辻宮に。
辻宮はやめることなく央を殴ってる。あたしは辻宮の服の裾を掴んだ。
「ちょ、ちょっと辻宮やめてよ」
「うるせえ」
「やめてってば、央、血が出てるよ」
あたしが振り上げた辻宮の拳を掴んでようやく辻宮は腕を振り下ろした。
怖い。誰?この人は誰?さっきまで手を握って安心させてくれて、
優しくお経を唱えてくれた辻宮はいない。
今、ここにいるのは・・・誰?目が座ってて強い拳を握り締めてる。
「つじみや?」
「・・・本性現わしやがったな」
「本性?」
「こいつは売られた喧嘩は必ず買う。そして絶対勝つ。
・・・喧嘩の百戦錬磨なんだぜ」
央は手で血を拭いながら言う。喧嘩の百戦錬磨?どういうこと?辻宮。
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