A kiss over you and the glass which I shook
陽菜は無我夢中でいつもの場所に走ってきた。
いつもの場所。それは第二校舎の第三会議室。
第二校舎はあまり人が寄り付く事のないぼろ校舎で
数年後には取り壊しも決まっていた。
その2階の端にある第三会議室。
陽菜は偶然見つけたこの場所によく一人になりたいとき足を運んでいた。
横扉を開くとギーっという錆びれた音がする。
中に入ると机と椅子が数個あるだけで後は何もない。
開けた扉を閉めると陽菜は扉にもたれるようにしゃがみこんだ。
何も考えたくない。できればさっき見たことも忘れたい。
それなのに明確にさっきの場面がフラッシュバックする。
自分の彼氏と他の女の子のキスシーン。
もう泣かないと決めたはずなのに涙はとめどなく溢れてきた。
「・・・っく・・・っく」
外まで聞こえるような嗚咽。だが、ここに人気はない。
誰にも聞かれるはずがなかった。
しかし、陽菜は人の気配を感じた。窓にぼんやりと人が映る。
廊下側の窓ガラスだけはあまりにも汚かったので
壊す事が決まる前に新調されていた。
陽菜は立ち上がり窓ガラスに近づくと
ゆっくりその人を確認するかのように話しかけた。
「誰かいるんですか?」
「・・・なんかあったのか?」
声が返ってきた。その声は清弥の声ではない。
昨日電話で聞いた愛しい声。廊下にいるのは篤貴だった。
陽菜はそのまま窓ガラスの前にしゃがむ。
窓ガラス越しに篤貴もしゃがんだことがわかった。
お互い顔を合わせるわけでもなくそれぞれ前を向いて話し始めた。
「・・・どうしてここ」
「俺が帰ろうとしたら槙原さんが走ってこっち来るのが見えたから。なんかあったのか?」
「・・・ねえ男の人って誰とでも・・・キスできるのかな?」
「え?」
「さっき清弥が委員会終わるの待ってたら・・・その教室で・・・清弥が・・・」
「・・・キスしてたのか?」
「・・・うん」
「槙原さんは清弥がキスしてたの見てショックだったのか?」
「・・・当たり前だよ」
何の音もしない。ただ二人の会話がだけが響いている。
外に出て篤貴と直接会話をすればいいのにそれすらも何か怖い。
どうして彼女がいるのに男の人は他の人とキスできるのだろう。
本当は清弥は自分のことが好きではないのかもしれない。
自分はちゃんと清弥を見ているわけでもないのに、
彼の裏切り行為があまりにも衝撃的すぎた。
「清弥はあんな外見だから・・・正直さ、キスは何でもないと思う。
だけど槙原さんに触れるのは怖いって言ってた。嫌われたくないから何もできないって」
篤貴のその言葉。
普通なら言われて嬉しいはずなのに、陽菜の心はちっとも動かない。
それどころかどうしてどうしてと頭の中で清弥を責め続けていた。
確かにあの外見なら今までに告白されたことだって何度だってあるはず。
嫉妬。そんな感情ではなかった。
「嬉しくないのか?それだけ思ってくれてるってことなんだぜ」
「・・・うん」
「なんか微妙な返事だな。槙原さんは何でショックだったんだ?
清弥が好きだからショックだったのか?
それとも・・・自分の彼氏(もの)が人にとられそうになったからショックなのか?」
篤貴の言葉が陽菜の心の中の答えを出した。
どれだけ今、弁解されても清弥を許せないと思ったのは
自分のものだと思っていた清弥が他の人に取られそうになったから。
恋愛感情というよりは所有物。
「・・・・」
「・・・あんた清弥のこと好きじゃないのか?」
「そ、そんなこと・・・」
「・・・なあ俺とキスしないか?」
「え?」
突然の篤貴の言葉。鼓動が激しくなるのがわかった。
どうせ冗談だろうと思ったら窓ガラスに顔が映った。
「俺の手の上に手を重ねてみて」
そう言うと篤貴は両手で窓ガラスに触れる。
陽菜も最初は篤貴の手を黙ってみていただけだったが
少しずつその手に自分の手を重ねた。
そして目を閉じてそのままガラスに唇をつける。
篤貴も同じように唇をガラスにつける。ガラス越しに二人の唇が重なった。
陽菜の初めてのキス。直接唇を合わせているわけではない。
二人の間にはガラスという壁がある。
それにも関わらず愛しいと思う人とのキスは
陽菜の中の感情をすべて揺さぶっていた。
ドキドキ。そんな言葉では表せなかった。
しばらくして二人は唇を離した。最初に離したのは篤貴のほうだった。
「・・・これであんたも同罪だな」
「え?」
「俺とキスしたんだ。清弥に文句は言えないだろ。
・・・あいつのこと許してやってくれよ。本当にあんたが好きで好きで仕方ないんだ。
多分このことがバレたら俺殺されるかもな。とにかく俺は行くから」
ガラス越しに篤貴が立ち上がるのが見えた。
そのまま何も言わずに去る。
陽菜は重たい扉を開けたがもうそこに篤貴の姿はなかった。
ガラスにはうっすらと篤貴の唇の跡が残っている。
陽菜はペタンとしゃがみこみその跡に自分の唇を重ねた。間接キス。
さっきのガラス越しのキスと同じ感情がまた湧き上がってくる。
いけないことをしているのに離してはくっつけてとそこから唇を離すことができない。
篤貴がどうしようもなく好きでたまらない。
こんな感情を持っても仕方がないのに。陽菜が唇を離したのは5分後だった。
見切りをつけて立ち上がる。カバンを持ちその場を離れた。
「陽菜」
第一校舎に戻ってきて靴を履き替えようと下駄箱に行くと
陽菜のお気に入りのモスグリーンの傘を持った清弥が立っていた。
さっき見たキスシーンと自分がしたガラス越しのキスがフラッシュバックして
陽菜は清弥から目を逸らした。どんどんと清弥が近づいてくる足音が聞こえる。
「陽菜・・・ごめん。でも俺にとって本当に大事なのは陽菜なんだ。
今日だって頬にキスするだけで嫌われたりしないかとかずっとそんなこと考えてた。
さっきのだって早く陽菜に会いたいのに全然帰らせてくれないから・・・
何を言っても言い訳にしかならないのかもしれないけど
本当に陽菜のことが大好きなんだ」
「・・・いいよ。あたしショックだったけど清弥のこと許す」
「え?」
「・・・だからもう帰ろう。ずっと待っててくれたんでしょ?」
清弥の傘を持つ手が震えているのが分かった。
陽菜はその手に自分の手をそっと重ねると清弥に向けて笑顔を見せた。
これはせめてもの償い。自分も同じことをしたなんて口が裂けてもいえない。
でも陽菜の心は目の前で自分を見て嬉しそうに笑っている美少年の清弥ではなくて
口の悪いでも人一倍友達思い篤貴でいっぱいになっていた。
「陽菜・・・ありがとう」
「・・・もうしないでね」
これは自分にも言えること。それなのに唇は忘れていない。
ガラス越しでも篤貴とのキスを。
清弥が隣にいるのに前以上に篤貴のことばかり考えてしまう。
清弥から傘を受け取って靴を履き替えて帰り道へと足を進める。
隣同士の二人の見える距離は体が触れ合うくらい。
しかし、陽菜はもう篤貴以外誰も見えなくなってしまった。
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