第一部



お風呂に入りたーい



「今日から一ヶ月、お風呂使えないから!」


夏、体は汗だらけ。ただでさえ制服を脱いで、
今すぐにでもシャワーを浴びたい柚にとっては地獄の言葉だった。


「なんかねえお父さんがユニットバスにしたいって言ってたじゃない。
それでなんか一ヶ月くらい工事が必要なんだって」
「そんなー今すぐでもシャワー浴びたいのに」
「じゃあ銭湯に行ってらっしゃいな。明海連れて」
「えー銭湯?!ありえないし」
「じゃあ我慢しなさい」


こうしてやむをえず、柚は銭湯に行くことになった。
しかし、この銭湯が柚の人生を大きく左右することなど、今は誰もしる由がない。
柚は汗だらけの制服を脱いで私服に着替えて用意をし始めた。


「明海―用意できた?」
「おう。オレ海水パンツも入れたぞ」


明海=女とは限らない。明海は4歳になる立派な男の子である。


「バーカ!銭湯はプールじゃないのよ!」


柚は明海の頭をこつんとたたく。


「何言ってんだよ!柚!銭湯でも泳げるんだぜ!!オレクロールやろっと」
「だから銭湯では泳いじゃだめなの!!」
「柚さぁオレのクロールに惚れるなよ!」
「誰がほれるって?」


明海の頭の近くには柚の鉄斎が待ち構えていた。
明海はしらを切るように吹けもしない口笛を吹いている。恐るべし4歳児である。


「はいはい。仲がいいのは分かったからさっさと行ってきなさい。ご飯作っとくから」
「はーい」


柚と明海は用意を持って銭湯に向かった。
簡単に2人の感じを言えば、柚こと相河柚はただ今、中学2年生。髪はショートのバレー部。
目が大きいのがチャームポイントだが、話し方で現実女の子としては見られることが少ない。
一方明海こと相河明海は幼稚園生そして4歳児ながら自分をオレと呼ぶちょっと変わり者。
柚には生意気だが他の女の子からはもてまくりという対称的な姉弟である。


「柚、風呂出たらフルーツ牛乳飲んでいいだろ?
 オレあれを腰に手を当てて飲むのが好きなんだよー」
「お前は親父か!」
「なんだよー自分が牛乳嫌いだからってオレにあたるなよな!」
「うるさい。あんたは家帰っておいしい牛乳でも飲んでな」
「あれはまああれでうまいけど、やっぱ銭湯といえば、フルーツ牛乳だよなー」


明海は完全に妄想の世界に行ってしまった。柚は完全無視である。


「やっぱあの甘くて濃厚さがいいんだよな」
「バーカ」
「あっ?!」
「何よ?」
「銭湯閉まってるぜ」


二人が話しながら近くの銭湯に来ると、閉まっていた。


「昨日で終わりだって」
「なんだ?」
「だからこの銭湯昨日で潰れたんだって」
「えーオレのフルーツ牛乳は?」
「んなもんしらないわよ!それより銭湯潰れたら話ならないじゃない。
 どこ行けっていうのよ?!」


柚はつぶれた銭湯の前で絶叫した。傍からみれば変な子である。


「とにかく、他に銭湯あった?」
「オレ知らね」


明海はフルーツ牛乳が飲めなくなったことがよほどショックだったのか
さっきまでの元気がなくなっていた。柚も汗だくの体を洗えないことに辛さまでも感じていた。


「おい柚!向こうの方に銭湯あったぞ。確かこないだ遊んだまりちゃんの家の近く」
「マジで?!」
「あーでも・・・」
「行くわよ!!」


柚は明海の話も最後まで聞かず、猛スピードで明海を抱えて走った。
さすがバレー部だけあるのか彼女の走りは自転車をも追い越す速さだった。


「銭湯、銭湯、」
「おい、柚オレの話を・・・・」
「銭湯、銭湯、お風呂、お風呂」


抱えられて話す明海の声も耳に入らないくらいに柚の頭の中は銭湯でいっぱいになっていた。


「ここ?」
「お、おう」
「ここ?」
「お、おう」
「ここ?」
「だからぁ!」
「ほんとにここかって聞いてんのよ!」
「柚、途中までしかオレの話聞かなかっただろ?」
「あんた・・・ゲンコツ喰らいたいの?」


柚が怒るのも無理はない明海の言っていた銭湯。
それは今にもつぶれかけのボロボロの銭湯だった。
客なんかいないだろうと思わせるようなたたずまい。
言えばどうして向こうの銭湯がつぶれたのか?
明らかにこっちの銭湯のほうがつぶれて当然だろうと思わされる。


「柚、帰るか?」
「何言ってんのよ!帰っても風呂入れないのよ」
「オレはいいぜ。なんなら美帆ちゃんの家で入れてもらうし。あっ柚もそうする?」
「えっ!?」


〜美帆ちゃんの家〜

「オレクロールするぜ」
「明海くんそんなことしたら美帆また惚れ直しちゃう」
「だろ?な!柚も風呂入れてよかったな」


「あ、ありえない!!」
「ん?」


一瞬の間でその光景を思い浮かべた柚はぞっとした。


「冗談じゃないわよ!なんでこんなに疲れてゆっくりお風呂入りたいのに
子守りなんて冗談じゃないわ!!行くわよ!明海!!」
「柚!本気か?こんなボロ銭湯」
「本気よ!!入れないよか1億万倍まし!!さぁ行くわよ!!」


覚悟を決めて嫌がる明海をまた小脇に抱えて柚はその銭湯に入って行った。
かくして二人の運命やいかに。